▲ 日 時  2019 年 7月9日(火) 19時30分 ~ 21時00分
▲ 会 場  育徳園子どもの家
▲ 参加者  8名 7施設・団体

▼ 内 容  フリートーク 支援者座談会のテーマを決める

◎フリートークの内容

本日のお題

・インクルーシブ教育って何?・THE差別・義務と権利というお題だった。

「普通に生きたいと考える私たちの常識に息づいておりそれは普通の中で活き活きと蠢いている」「差別に関係がない人間が『普通』」を規定しているのかもしれない。では「なぜ私たちは『差別を考える』必要があるのか」

そして、インクルーシブ教育の定義ってなんだろう?

誰が誰に何のためにするのか、特別支援教育の範疇という狭義の意味もあれば、外国籍 貧困 民族 被暴力など様々な要素も含むものとして考えることもできる。障がいと非障がいというだけではなく共生社会をめざしていきたい。

インクルーシブ保育の実践例のようなものとして

→ 午睡中事務室で起きて遊んで過ごしているAくん。先生がそうしているからクラスの子たちはなんでAくんだけが寝ないのか、なんで事務所にいくのか聞けない、言えない状況であった。このままではいけないとある時、クラスで話をする場をつくってみたところ、いろいろ話がでて、「Aくんだけ寝ないで遊んでいてズルい」とAくんは他の子どもたちに責められた。保育者はそれでも子どもたちの話を止めずにただ聴いた。泣いてしまったAくんにある子が、「どうしてAくんは寝ないの?」と尋ねると、Aくんは「絵が描きたいから」と答えた。するとある子が、「じゃあ、朝描いたらいいんじゃない。」と提案をし、そうか、じゃあ朝描こうとなった。 

 詳細を省いているためわかりにくいかもしれないが、対話して分かり合おうとしている、あるいはコミュニケーションをとることができる子どもたちの力がある、そこに大人の決定(保育士が関与すること)により、対話をしようとする気持ちや、聴こうとする意欲が低減しているのかもしれない。それはインクルーシブな社会と逆向きであるようにも思う。

言葉への立ち位置

 インクルーシブ・インクルージョンというのはやはり多数派側の言葉に感じ、思う。同様に小さな声を聴く力という表現もある。 声を聴くという立ち位置や意識をどう考えるか

受容と寛容という言葉についても、
 寛容 → 自分は変わらないで認める
 受容 → 自分も変化したうえで受け止める ということなのかもしれない

交流及び共同学習への違和感

 交流及び共同学習とは、月に2回一緒に給食を食べたり、支援学校の合唱などの発表を見たり、「特別な行事のような交流」であるが、文科省は共生社会の実現のため、これを推奨している。全国の小中学校で行われている。しかしそれは、分けられた上での交流であり、つくられたもの。本当にこれでいいのかな?という疑問がでてきた。

障害理解学習の話

 理解学習実施前に意識調査、学習実施後の意識調査での変化で効果を測定する。なんか違和感がある、障がいのある子どもの行動をみてどう考えたというようなことは、ただただ差異を際立たせるだけで、障がいというものへの焦点化を助長するように思う。行動の理解についてという面ではその人の気持ちを知る、追体験。それを知ることでどうなのか

 車椅子乗車や重りの着用による、高齢者体験、男性の妊娠体験などは良い面もあるけど難しい面もある。わかってどうするのか?というところが重要であるなあということ。ここでも対話し、あらたに関係を創り上げることの大切さの認識につながった。

◎支援者座談会検討の内容

しっかり自分の言葉で話せる会でありたい。

どうしたら、できるかなあという、考えたり悩んだりしたことを話そうということ

子どもの主体性とは何か?子どもだけでなく、利用される方の主体性とはということも考えたい。地域とのかかわりでうれしかったことなども聞いてみたい。

結果→ ○○の姿から学んだ○○の力 ということ
日々かかわっている方々の姿から学んだ○○の力
○○の中には様々な言葉がはいります。
その○○になにをいれるのか
 EX)支援の必要な方 子どもカスタマー ユーザー 利用者 顧客 子ども ご家族

☆事例検討についてのルール

 個人が特定されないものにする
 事例検討により支援の質があがる、本人の生活がより良くなるものにする
 研究会で街で起きていることを共有し、対応方法を考える力を磨く
 多様な視点で検討する

★ 今年度の、地域の障がい児・者研究会の方向性

 ◯ 人権と平和を自分の周辺から考える
 ◯ 一人ではできないことをみんなでやる
 ◯ 支援の質を高める事例研究

 次 回  9月3日火曜日 19:30~
 場 所  育徳園子どもの家
 内 容  フリートーク 支援者座談会について