●第80回 2019.10.25(金)報告

テーマ Round Talkみんなで 語る もっと人権と平和を考える
 第80回(節目の会)は講師を招かず、参加者全員での対話形式(ラウンドトーク)で行い、自分の中にある物語が多様な価値と出会うことにより、私たちの物語になることを目指します。
 これまでの社問研などを振り返りながら、人権と平和について一緒に考えてみましょう。
 今回は、「あなぐま亭」の美味しいお料理と飲み物をいただきながら語り合いましょう。オープニングはあなぐま亭店主による15分トーク、「なぜ店を始めたかー支援者を胃袋で応援」で飾っていただきます。

□ オープニングトーク:泉谷洋平さん(あなぐま亭店主)
  1、あなぐま亭ができるまで
  2、おいしいは正義
  3、大阪クレオール

□ あなぐま亭ができるまで
 京都大学大学院生時代に、京都の柳原銀行資料記念館のある崇仁地区で取り組まれていた地域通貨に関心を寄せかかわる。しばらくして大学院を辞め、釜ヶ崎の町再生フォーラム(地域通貨に取り組んでいた)にかかわりながら、フリーランスで在野の研究者として活動していた。その当時から、日本酒の魅力にはまる。
 船越酒店「渉」(天下茶屋)に出会い、そこで料理を学ぶ。その後、新世界フェスティバルゲートでココルームのカフェ番をすることになり、料理を作り始める。
 2008ー9年日本酒ゴーアラウンドの前身である日本酒イベントを手伝い、自分たちで運動的につくり上げていく面白さを感じ、2010年に株式会社ナイスのソーシャルファンド事業部、長橋のビアンで働く。そして、2011年10月24日に「あなぐま亭」は開店した。
 「あなぐま亭」という名前の由来は、一緒に始めた小沼さんが「こいつは、あなぐまだと思うことにしよう、そしたら怒らなくてすむ」「相手を穴熊だと思うことで、穴熊が料理をしている。それだけで立派じゃないですか笑」

□ おいしいは正義
 おいしいもののために人は動くといっても過言ではない。おいしいものを食べて怒る人はいない。小沼さんから聞いた話:コソボ事件、1981年ユーゴスラビアの指導者だったチトー大統領が死んだその1年後、コソボで学生による暴動が起きた。アルバニア系の学生暴動のきっかけが、「学食がまずいこと」だったということはあまり知られていない。その10年後にユーゴが解体された。
 おいしいご飯がある、提供できるということ自体、それなりの平和が保てていることと言える。それなりに平和が保てていないところでも、いまあるもので一番おいしいものをつくるということが大事で、いまお仕事でそれを担っている。まかない、始末などは、あるものをおいしく食べる知恵。
 大阪元気ネットワーク・ワークレッシュ代表の和久貴子さんは、「おいしいものを独り占めするのは子ども。シェアしたくなるのが大人の第一歩」といっている。料理人はアイディアをシェアする。著作権という発想はない。おいしいものはシェアする。それがないとおいしいものは作れない。

□ 第80回対話「もっと平和」問題提起
 第70回社問研のテーマは、「平和とは何か」。昨日(2019.10.24)、杉山春さんを招いて講演会「子どもの命を守る」を開催し、虐待について考えた。いま社会に安心感と安全感がないから虐待やD Vが起こるのではないだろうか。社会にはさまざまな生活課題があるのに自己責任論が強くて、それが見えなくされている。そこで表面化された問題だけではなく、問題化するべきところは、水面下にある構造的な問題ではないだろうか。今日は、概念的な話ではなく、日常の私たちの暮らしや活動の中で感じた平和や奪われている平和について自分の経験を通して語り合いましょう。

□ モノローグ からダイアローグへ
● Hさん(助産師・MYTREEのサポーター)
 2003年からマイツリーの実践と母子訪問事業を行ってきた。今日も一卵性双生児の赤ちゃんが私にはわからない「ことば」で通じ合っている平和な空間についての語りで口火を切った。

● Sさん(某区子育て支援室、心理士)
 某区の支援室で勤務。児童相談所は、指導することが必要になるので対立しやすいけれど、家庭児童相談室は、お母さんや子どもの立場で働けるところが強み。
 母の躁鬱に悩むヤングケアラーの高校生との出会い。母は躁転すると「この子がいないと生きていけない」、しかし鬱転すると「この子はいらない」となってしまう。
 わたしが高校生の頃には、もっと夢や希望を持つことができていた。しかし、その高校生を見ていると荒野をあてもなく歩いているかのように見え、人を信用できない状態にあった。そのような状況にある人にも、どうやったら本人のなかに平和が生まれるのか。わたしは「社会は自分にとって信頼できるよ」と伝えたい。

● Oさん(社会医療センター)
 大学の実習であいりん地域に来たことをきっかけに医療センターで働くことになった。本田良寛先生は「人を上から見たらだめだ」と常に話していた。無料低額医療の「タダにする」というのは上から目線である。なので無低医療は、いまお金がないから当座「貸す」という解釈で行っている。それによって対等になることができる。
 大阪府社協しあわせネットワークで17年前からCSWを養成している。地域にアウトリーチを行いワンストップで隔たりのない事業を展開しており、それが全国に広がっている。生活困窮への支援は制度や種別に関係なく、困った人すべてが対象である。貧困は孤立化、つながりが奪われる状態。平和とは人と人がつながることではないだろうか。アフリカのある部族には幸せという概念がない。なぜなら不幸がないから。やはり日常の幸せが大事。

● Oさん(新潟で住職と保育園の園長)
還俗。西成にはさまざまな宗教団体がいるが、本当に宗教的な活動をしているのは本田哲朗神父だけだと感じている。本田神父は、すぐそばに居る人を大切にする。自分を大切にするように人を大切する。
和とは不和の悲しみである。しわわせ、平和になろうとしてもそうなれないという悲しみが平和をつくっていく。お釈迦様はすべての階級から尊敬された。そういう生き方。

● Mさん(大阪大学 教授 哲学者)
 平和とか人権については、すべて西成でまなんだ。関東で生まれ育ったが人権という言葉を一度も聞いたことがなかった。いままで、平和というテーマで考える機会がなかった。西成で初めて人の痛みを大切にする人や、排除されている人とどうつながるかということを真剣に考える人と出会った。なので、平和とか人権は、この場がイコールと感じている。

● Yさん(MY TREE メディエーター)
 釜ケ崎に住み始めた10代半ば、越冬闘争中、咳が止まらず「結核か?」医療センターに連れていってもらった。そんなに丸々とした結核患者はいない、と担当者に笑われながら無料低額受診。すみません、おせわになりました!
 現在は、虐待臨床、そして病院でメディエーターという役割を担う。ともに「聴く」ことを通じてその人の内部での対話を促し、自分の内側とつながる仕事。
 平和を考えるということは、自己肯定と内省だと考えている。自分との対話がないとつながらない。そして、情報をどのように見るのか、リテラシーがないと平和がつくれない。

● Yさん(志塾フリースクール代表)
 8月1日に沖縄教室を開く。沖縄で平和教育をする担当のスタッフがいる。平和教育先進県といわれている沖縄でも平和教育は年間1時間しかない。関心がないことが問題。どうやって関心をつくるかが課題と感じている。

● Sさん(島根大学 デンマークにおける子ども家庭福祉など)
 2016年にMY TREEファシリテーターを1年間させていただいた。
 今年から島根大学に着任し、島根の子ども食堂にかかわっている。松江では、バックグラウンドの違う人が集まり子ども食堂で、おいしいものをシェアする。さまざまな人が子ども食堂にかかわることで地域の子どもの状態に気づくことができた。子どもの孤独などに興味のなかった人も気づき始めている。そして、ごはんの知恵をシェアすることも分け合うこと。
 平和、児童福祉法改正で体罰禁止が決まる。体罰禁止は第一歩であるはず。そこから子どもの権利保障がはじまる。体罰についての新聞取材を受けたら、体罰肯定論と両論併記になってしまった。

● Kさん(こども情報研究センター、MY TREE保育)
 交野市の人権擁護委員や子育て支援活動をしている。Mさんと同じで関東で育って人権ということについて考える機会がなかった。理想が必要。理想を語り合う場所、語り合える人が居ることが大事。それが平和。

● Kさん(こども情報研究センター、こどもの居場所まーる)
 今里生まれ此花育ち。小学校5年生で奈良に引っ越し、現在は西成で暮らしている。保育士。1990年に交通事故で後遺症を負う。2010年に高次脳機能障がいの診断。後遺症を経験し、新しい自分を生きることができた。平和とは、人とつながること。

● Hさん(某区P T A会長、職人)
 職人さん。育徳園の卒園生で吉田さんと同級生。地域活動協議会、保護者会、PTAや子どもにかかわるボランティアを行っている。平和とは、子どもが走り回っている姿ではないだろうか。社問研で学んだことや、つながりを自分の地域で伝えることができることを幸せと感じる。

● Dさん(健康福祉短大 教授 遊びの研究)
 児童館実習の担当者として当時、今池こどもの家の西野と出会った。
 子どもと向き合うときには、自分の育ちや生き方と向きわないといけない。また、就職を自分の意思できめられずに親につぶされる学生も少なくない。
 平和について。遊びには、ときに対立や競争の場面がある。しかし、最終的にそれらも含めお互いの心の武装解除をすること。これがミクロな平和ではないだろうか。

● Wさん(高知出身。大阪にきて29年。わかくさ保育園園長)
 小掠昭先生がつくった土壌、それは、職場があたたかく子どもについて語り、前向きになれる土壌。しんどいことをいかにシェアできるかが平和につながる。
 今年、保育園に入ってほしいと思っている子どもとお父さんが運動会を見に来てくれて入所を決めてくれた。

● Wさん(訪問看護ステーション)
 いまは西成、浪速区で訪問看護をしている。奈良県で生まれ育ち、奈良医大の救命センターに就職した。通院できている外来患者は生活能力が高い人が多い。しかし、救命センターの患者はそうでなく通院すらできなかった人が多くいる。救命センターは、自殺の患者やDV被害者、虐待の子が亡くなったり、家庭的にしんどくて帰宅しても同様の状況でまた搬送されたりすることが起っていた。5年間病院(救命センター)で働いたけど、その前でなんとかできないかと考えるようになった。
 2年間、保健師資格取得のため大学に戻る。そのときリーマンショックと時期が重なった。貧困が気になり、まずは釜ヶ崎へ向かい、NPO釜ヶ崎でボランティアをした。そのあと5年職員として働き、ホームレスのみなさんとかかわるなかで世界は平等ではないと感じる。
 行路病院。「日本の医療のいいところは、だれでもいつでも医療を選べる」といわれているけど、実はそうではない。ホームレスの人は行路病院にまわされて助かる命も亡くなる。不平等。選択できることが大事。選択するためにもおっちゃんが、こういう医療は受けたくないとか選べたり、そういうことも含めてかかわっていけたらと思っている。いま保険で医療を受けられないひとがたくさんいる。そこにかかわりたい。

● Wさん(あそぼパークprojectアート部門リーダー)
 従兄弟が、西成で子ども食堂(こもれび食堂)を金曜日に運営している。
 社会は子どもの虐待死を保護者だけの責任とし、子育て責任を親だけに押し付けていることに悶々としていた。でも学校では子育ては習っていない。社会にはその責任がないのか?社会で子どもを育てるべきではないのか。すべての子どもに支援が必要。怒っている。貧困のないケアをしてほしい。わが町にしなり子育てネットは、2019年度、大阪マラソンチャリティー寄付団体に選ばれた。その寄付は子どもの権利条約の条例化運動に使う予定。

● Sさん(わが町にしなり子育てネット 事務局次長)
 西成の被差別部落で生まれて朝鮮部落で育ち、長橋小学校で人権教育をうけて、いまの私がある。
 自分がいま感じていることは、大人が動かなあかん。自分もできることをしたい。現在、こどもの里で働きながら大阪市の子ども家庭支援員をしている。西成の子ども家庭支援員はしっかり家庭に入る。そこには制度の隙間にいる家庭もある。そこに出向いて家庭に入り、安心してドアを開けてもらえる関係になるという活動に取り組んでいる。
 私のお父さんは広島で被爆している。しかし、お父さんはそのことを語らない。この年になってその経験がいまのしんどさとかかわっていると感じる。

● Aさん(今池こどもの家O B)
 今池こどもの家。今日、子どもがいいところ悪いところが認められないと戦争。小さい子は「平和の反対が戦争」。大人は「意見の食い違い」自分のなかでも平和がピンとこなかった。

● Yさん(育徳園子どもの家 副施設長)
 平和と人権をずっと課題におもっている。いかにして子どもたちにこの言葉を伝えるか。
 小学校3年の子がトイレの前で激昂していた。そのときの発言は「あいつ俺の下やのにぶつかっても謝らへん」。子どもがお互いにランクをつけている。自分より下の存在をつくることで安心していた。
 キャンプでペットボトルの環境汚染のレクチャーを経験し、子どもたちは水筒を使うようになった。子どもと一緒に具体的に学び、他の人に伝えていく必要がある。平和ってこうだ、と概念化できないから具体的なところから学ぶ。

● Nさん(大国保育園園長)
 平和と人権の大切さを西成でひりひりと目に見える形で、痛みと出会うなかで感じてきた。その問題の本質を見ようとすると親が抱えてきた痛みに気づく。親の話をじっと聴かせてもらうと、必ず親自身の育ちの話になる。それは、何世代にも渡り暮らしが奪われてきた痛みへの語りである。
 傷んでいる子どもの朝の挨拶「死ねこら」。それを表面的に制限する保育士がいないのが平和な環境。経験年数の浅い保育士もスキルを超えて、その人と本当に出会おうとする。それが、釜ヶ崎のいいところ。浪速区もそうでありたい。