1.日時 参加者等 2022年8月8日(月)参加者6名 zoom会議
2.内容
① 10月19日(水)「みんなのしゃべりば」について
前回大国保育園に障研のメンバーが来所して、大国の保育士数人と障研のメンバーが一緒に保育士が抱えている支援や配慮が必要な子どものかかわりを共に考えたことが好評であったので、今回も保育所単位で「みんなのしゃべりば」を募集して、手を挙げていただいた保育所にお邪魔して、一緒に支援が必要な子どものかかわり方を模索する企画を進める。叩き台は吉田が担当。
② 11月16日(水)「支援の必要な子どもとかかわる 保育士・指導員の専門性とは」
(仮) 講師 大阪公立大学 木曽先生 支援の必要な子どもとかかわるのは、保育士や指導員ではなく、障がいを専門に学んでいる専門家が担うべきだと考えている職員が多いのではないだろうか…保育士や指導員として発達支援が必要な子どもとかかわり、保護者支援をすることは大切な仕事の1つです。保育士や指導員が自信をもって子どもたちとかかわり、保護者支援するための大切なポイントをわかりやすく伝えていただきます。叩き台は楠と大川が担当。対面とzoomで進める、場所未定。
③ 抱撲奥田代表の植松死刑囚の話を全員で考える
奥田さんの話の内容(抜粋)
◎植松氏が「意思疎通できない人」「自分で排泄・食事できない人」は生きている価値がない重度の障碍者を殺めたが、殺人犯として死刑を宣告された状態を私たちはどう受け止めるべきか。植松氏を意味のない命として捉えることは、植松氏が障碍者は生きている意味がないということと同じことを植松氏に与えているのではないか。
◎植松氏の行為は、あなたたちは意思疎通できない重度の障碍者とともに生きることが出来るのですか、一緒に暮らしていけますかと、私たちに問うているのではないだろうか。
◎意味のない命は社会に必要がないという考えを、私たちは持っていないのだろうか。植松氏の話している内容は植松氏だけが抱いているものなのか、私たちの心には同じような考えはないのだろうか。その部分を明らかにしない限り同じ犯罪は繰り返される可能性は高い。私たちは植松氏の行為と植松氏を死刑囚として受け入れているところの矛盾に気付いているのであろうか。
◎植松氏と面会したときに何度も話をしたが、植松氏が発する言葉は植松氏の言葉ではなく、現在の社会が作った構造の中での話だと感じた。「役に立たない人間はいらない」「生産性の低い人は必要ない」植松氏に奥田さんが「ではあなたは役に立つ人間なんですか」と問うたとき、「僕はあまり役に立たない人間だと思っていた」と話したという。奥田さんは植松氏が自分が役に立たない人間だから(このまま生きていても役に立たない)、生きていても仕方がない。だからこそ社会に蔓延る国建たない人を殺害することで自分を一発逆転、役に立つ人間になるために重度障碍者を殺めた。それは、生存の意味がない植松氏が障碍者を殺すことで自分の存在価値を上げたかったと話した。
◎意味のある命と意味のない命という考えは、現代の社会から出てきた言葉。生きる価値とは命とは何かということを私たち一人ひとりが言えないといけない。私たちは重度の障碍者と一緒に生きていくことが出来ると発信せねばならない。しかし、植松氏のように周りから相手にもされず無視されていく人生に陥ることは、私たちがこいつよりは俺の方がまし、こいつよりは自分の方が価値があるという社会から創りあげられている。
◎植松氏がひとつ根本的に間違っているのは、重度の障害を持つ子どもと暮らす家族が、辛いことや苦しいことと出会う。その形を不幸だと考えたことである。家族や人の間には絆が存在する。しかし、その絆の中には「傷」辛さや苦しいことも含まれる。その辛さや苦しみ=不幸ではないのである。その視点が植松氏には無かった。自己責任や家族集団だけの責任にするのではなく、辛さや傷の再分配、社会化をしていくことが必要である。生きていることだけで意味があり、幸せとは何かをみんなで真剣に話すことが必要だと考えている。
参加者の考え・思い・感想・・・
◎東京・神奈川県は収入の高い都道府県1.2位であるが、幸福度はワースト1.2位である。反対に収入が一番低い沖縄県は幸福度では一番高い。幸せって何かを改めて考えた。
◎福祉の社会の中ではQOLの向上が言われる。しかし、その基準は何かはあいまいでで明確にはできない。人それぞれの価値観が違う中、目標として人の幸せを決めるというのは難しい。私はこの国で「役に立つ人になれ」「世のため人のために役に立て」と言われ続けてきたように思う。その価値観と、何もできない役に立たないなんてことなないんだという価値観の違いをどのように捉えるのか。だからこそ、子ども時代に出会う大人の大切さを思う。障がいのある子どもの保護者に、そのままでもいいんですと伝えることも大切だと感じた。
◎傷の社会化という話が出たが、植松氏も弱者の一人ではなかったのか。
◎意味のない命と死刑という考えは別だと思う。植松氏は死ぬ意味があるから死刑になるのではないだろうか。社会の中の閉塞感は、子ども社会、特に小・中・高校の学歴社会が変わらないことには、社会も変わらないと思う。学歴でない豊かな社会を考えたい。
◎同じ価値観の人達だけで集まっている。地域の中に障がいのある人たちが見えなくなってきている。放課後デイなど障がいのある子どもたち保護者には新しく選択することが出来たが、やはり障がいのある人たちだけを集めているだけでは変化は起こらない。
◎非正規が半数を占め、給料が上がらない、幸せが感じられなくなってきているのでは。多様な幸せや、いろんな形の幸せがある社会とは、どんな社会なんだろう。
◎植松氏を死刑に突き付けたのは、私たちではなく国である。死刑を反対している人たちは多い中、命の意味があるか無いかの線引きをしているのは「国」である。大事にしていきたいのは、地域の中で声を聴く。その声を活動や制度に繋げていく。国と地域は対である。なぜこの人は犯罪を起こしたのであろう。もっとも弱い人を死刑に繋げないのは「地域」の役目である。国家に頼るのだけではなく、地域で関わる。植松氏には地域が無かったのであろう。全部一緒にしようとする国家。話ができない隣の人と関わるかどうかを決めるのは、国が決めることではない。
◎私たちも学ばないことにより、無意識的な差別をしているかもしれない。
◎人とひとが接することを避けたい、煩わしいと感じる人をどう巻き込んでいくか。地域福祉の出番である。
次回 9月14日(水)19:00より望之門保育所で開催予定